今日は一日中、秋のお湿り。 傘もレインウエアもいらねど、いつ大粒の雨が降って来てもおかしくないような空模様。
本降りになり始めたら直ちに戻れる範囲内で右往左往しているうちに、ふと、
■一昨日のマテバシイにことを思い出した。「墓地でマテバシイのドングリが降っていたのだから、椎(スダシイ)のドングリももう降っているに違いない、、」
■我が家の近所で椎の木が沢山生えている、、、と云えば、、ここだ。
某宮様のお住まいで、周囲は塀と防犯用の高圧線ですっかり覆われているが、ふんだんに植わっている椎の木は塀の外にも枝を広げ、季節になるとその実を周囲の歩道に沢山バラまいてクダサル。
椎の実は、マテバシイの実に比べるとず〜っと小さいが、生食できるほどにアクが全くなく、しかもウマイとのこと。その場で一つ殻を外して食べてみたがなるほど食べられる、、と云うか、後から甘みが口の中にほのかに芽生えて来るなんとも上品な味だ。宮家のお裾分けだから、と云うわけでもないだろう。
勿論、みかんにもシェア。でもそれは、みかんに禁断の一線を越えさせることとなってしまった。
■父さんが拾い集めている間、みかんは食べ放題状態。ちなみに、食べているのはヒトや車に踏まれて殻が割れているやつだ。多分、父さんが拾い集めるより速度が速い。
■今日父さんが持ち帰ってきたのはこれ。ものの4・5分の成果だ。
みかん連れずに30分も拾っていたら、たぶんこの百倍くらいの収穫になっただろう。でも、、、みかん連れじゃなかったら(父さん一人だったら)きっと職務質問されるね。
早速、半分ほどを煎って食べた。美味。この先いろいろな食べ方を試せそうだ。
縄文人ってとんでもなくグルメであったことを、肌で知った。
ちなみに、今日煎らなかった分は冷蔵庫に保管。寒さを過ごさせることによって甘みが増すのではないか、、と云う実験に入る。
ところで、縄文人達が照葉樹林をこよなく愛し尊敬してきたことの延長に「和食」があるわけで、
昨今動きのある「世界無形文化遺産」への登録には、「和食」の前に「古代の日本食文化」もしくは「照葉樹林文化そのもの」を提案すべきではないのか。
■夕食後の散歩。やはり今日は遠出は無理なので、612へ。
って云うか〜、、みかんは夕食済ませたけど、父さんはこれから夕ご飯。
■今日は日曜日だけど、母さんはお仕事してた。
■今日、たくさん食べた椎の実を消化中のみかん。
明日のウンコが楽しみだ。でも実は心配の方が大きい。
●昨日とほぼ同じご飯。
木綿豆腐とトマトをトッピング。
おやつに生椎の実ほかいろいろ。前菜に煎り椎の実ほかいろいろ。
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