子供の頃(少年の頃)、他愛の無ないことなのに、理由なく楽しくて妙におかしくてしょうがないことがいっぱいあった。女学生の「箸が転げても可笑しい」と云うやつの少年版に近い。損得や社会的立場みたいな大人の駆引き・妥協が芽生える前、大人になる為の階段の一つといえようか。いつしか社会的成長(?)とともに忘れている。
先日、数年前ボルネオの水中で亀と一緒に撮ってもらった写真をPCで見ていて、ふとその一つを思い出してしまった。
それは、「浦島太郎の唄」の他愛無ない替え歌(?)で、下記の歌詞の『○○○○○』のところをすべて『ヘソの下』に替えるだけのものだ。(必要に応じ『ヘソの下』の前の助詞を「の」に代えて下さい。)
1、むかしむかし『うらしまは』 たすけたかめに『つれられて』
りゅぐうじょうへ『きてみれば』 えにもかけない『うつくしさ』
2、おとひめさまの『ごちそうに』 たいやひらめの『まいおどり』
ただめずらしく『おもしろく』 つきひのたつのも『ゆめのうち』
3、あそびにあきて『きがついて』 おいとまごいも『そこそこに』
かえるとちゅうの『たのしみは』 みやげにもらった『たまてばこ』
4、かえってみれば『こはいかに』 もといたいえも『むらもなく』
みちにゆきあう『ひとびとは』 かおもしらない『ものばかり』
5、こころぼそさに『ふとみれば』 あけてくやしき『たまてばこ』
なかからぱっと『しろけむり』 たちまちたろうは『おじいさん』
今、明らかに少年帰りしている父さんだ。次のダイビングの時に水中で思い出し呼吸に支障をきたしてしまうのがちょっと心配だ。
父さんが誰から何時、伝承伝授されたかきちんと思い出せないが、それはともかくとして次世代の少年に残したい文化遺産としてここに記す。
みかんに聞かせてみたが、キョトンとしている。まあ、ナンセンスだしみかんは少年ではないから仕方ないだろう。
■みかんの「ヘソの下」。日々チェック。時々、畑で虫さされ。 ■みかんの「鼻の下」。ちょっと変?
●昨日と同じ
※トッピングに桃。間食に胡瓜、デザートも胡瓜。