鴨とアヒルの間の子(差別用語?)を「合鴨」と云う。
「鴨」にもいろんな種があるし、「間の子」にもハーフから始まりクゥオーター、wクゥオーターetc.野生の割合によって肉質が異なる。だから一口に合鴨といっても、ヒトが肉に何を求めるかで評価は変わる。合鴨農法の合鴨は一年でその命を終える。父さんは、食べる対象としてはジビエにより近い方が好きだ(個体差や、食べ方にもよるが、、)。
612が毎年口にする合鴨は、石川県で合鴨米をつくっているD家(ここのD君は父さんの漆の先生だ)の水田で元気に役目を終えたものを譲ってもらう。ジビエ本来の「鴨」の味を知っている父さんとしても、ここの合鴨はかなり美味い。
日本で合鴨農法が始められたのは最近のことだ。農薬をフル活用する日本の稲作では普及しようもなかったが、不思議なことに、世界の中で日本だけが水田稲作で、合鴨ないしアヒルを使う歴史をもっていない。理由はわからない。
家畜化された鳥類のうち、鶏(&鳩)だけは「渡り鳥」ではない。アヒルもガチョウも元は渡り鳥だ。「渡り鳥」には群れて移動する習性がある。東南アジアでよく見かけるアヒルの遠足(移動)はそのDNAによって避けがたく成り立つ。日本人(日本列島人)は渡り鳥に独自の感情を持っている、と父さんは感じている。日本人と渡り鳥とは、鶏を越えた独自のメンタル関係(食肉を越えた友愛、霊的共感)を有していたのではないか(例えば、昔話「夕鶴」、、)。またまた新たに宿題を背負ってしまう父さんだ。
それにしても、ジビエの鴨は美味い(カルガモ・マガモ・その他、、)。雁と鶴をまだ食してないので、その機会を切望する父さんだ。いよいよジビエの季節に入って来た。
そう云えばこの数カ月、あの雉子をみない。食べられちゃったのだろうか、引っ越しちゃったのだろうか、、、残念がっているみかんだ。
■D家から届いた合鴨のさしみ、美味しかったよ。 ■八ヶ岳は雪景色に入りつつある。ジビエの季節だ。車内はぽかぽか。
●昨日と同じ
間食に郭公でいただいた洋梨他いろいろ。