日本では、クリスマスイブが終わるとともに、町中からクリスマスの景色が払拭(ふっしょく)される。正月行事が次に待っているからだ。クリスチャンではない殆どの日本人にとって、「クリスマス」は「正月の前夜祭(イブ)」みたいなものだ。
「お歳暮」の沈滞化に代わり、商業的な「クリスマス」は年々業域を広げ、消費経済効果上の重みを増しているようだ。商業的にまた忘年会的に盛り上がるのも嫌いでは無いが、、やはり「キリスト教」と云うものを年に数回まじめに考えてみる機会(年中行事)として後世に伝えた方がよろしかろう。
「クリスマス、それは『人類は一つの家族だ』と云う精神の祭りだ」と、アメリカの誰かが云っていた。いい捉え方だと思う、、日本のクリスチャンじゃあない人のクリスマスを見てそう思う。出来れば「他の宗教」の「それ」も同様に扱ってみたい。日本では商業的なイベントテーマになれば容易に成り立つ話だ(なんか悲しい)。
人類が生存するかぎり宗教や信仰はなくならない。次の宗教革命・宗教のグローバル化はどんな形や内容でいつくるのか、、父さんの思いは馳せる。問題は、時代(科学の進歩)に応じた「納得出来る体系化」と「聖人の出現」か。少なくとも「実存主義」ではないだろう。
みかんは人類ではないので「クリスマス」には無縁だ。でも「そこにいるだけで至上の癒しをくれる」、「世俗」な要素を殆ど感じない。、、そうか、「世俗」も人類固有のものだったんだネ。「クリスマスイブをみかんと過ごせる」と云うヨロコビをくれたサンタさんに感謝する「世俗」バリバリの父さんだ。
■メリーXマス。 ■え!これで散歩するの?
●昨日と同じ、、だが、クリスマス仕様
※板チョコの代わりに乾燥芋、文字は人参。