昭和64年の五円玉(昨日のブログ参照)から思い出した。
その年の正月、雪景色のマンハッタン島で「昭和天皇崩御」のニュースを得た。父さんは不思議と海外で大きなニュースの報に出会う。
昭和天皇がいつ亡くなっても不思議ではないと云う報道がなされたまま、その日まで、かなりの年月がずるずると経過していた。正直言って迷惑な日々だった。
「崩御」の後ならともかく、天皇が病いでふせていると云う理由で、プロ野球は優勝祝賀のビール掛け(そうでなくともやめた方が良い)やパレードを「自粛」、自動車CMの「お元気ですか?」の音声はカット、TV番組「笑って・・」のオープニングテーマも差し替え、某歌舞音曲の大賞イベントも中止、その他数知れず、、。当然、NHK紅白歌合戦も地味だったはずだ。お陰で、某大物演歌歌手(I.H.)の結婚披露宴も縮小(これは、渡りに船?)、世間の結婚式場も大打撃。転んでもタダでは起きなかったのは、手帳会社とカレンダー(印刷)会社、、崩御の後しっかり稼ぎを挽回。そこに便乗してたのは、まだバブルの真っただ中、株の売買が動いた証券会社と投資家だった。
「不謹慎」との思いが「自粛」の強要を生み、巷の商店街も含め、あちこちでいろんなイベントが先延ばしや中止にされていた。「崩御」のニュースは、強制されたくない重苦しさが取り敢えずやっと消えると云う爽やかさを多少ながら与えてくれた。
残念ながら、日本の文化の体質や本質性に変化が生じたと云う思いはなかった。
今日、みかんは蓼科でひたすら走った。夜はぐったり。昨今のみかん(と父さん)の課題は「自制心」かもしれない。でも、「自粛」を押し付ける事は決してすまい。
■蓼科の新緑の中、走る。 ■畑では「自制」して欲しいのだが止まらない。
●母さんの公魚(わかさぎ)スペシャル
公魚ソテー、乾燥椎茸、大根、人参、牛蒡、クコ、干しリンゴ、昆布、すり黒ごま、きび入り五分つき米、フラックスオイル。今日は緑ものは欠品。