一昨日、顔に絆創膏を貼っていたあの農水大臣がやっと辞めた。
「人格」と云うものは、法的には「基本的人権」の尊重されるべき生存権の単位として扱われる。だから人であれば誰しも「人格(格としてのヒト)」は否定されることはあってはならない。でも「人格」には「人柄・人品」と云う意味もある、まさに人の格だ。
後者で捉えた場合、辞めた農水大臣の「人の格」は大臣として相応しくないことは当然だし、起きている事態から考えるならば「更迭」も当然だろう。でもあえて、弁護すれば、A前農水大臣のアレがなくても、自民党は今回の参院選で大きく破れたことだろう。参院選自民敗退の責任は彼には殆どない。人の格付けは安易になされるべきではないが、明らかに人格不足の政治家はまだまだ山ほど見受けられる。
それより、今回の件で、父さんにとっての夢と希望を奪ってくれたのは、彼が「農水省官僚」出身だったと云うことだ。ああ云う人柄・人品程度の人が有能な(?)公務員と評価され農水行政に携わっていたと云う事実だ。そしてそれは氷山の一角に過ぎまい。日本の官僚機構での人材の「お寒い限り」「おぞましさ」をあらためて知らされた。
ムラの中での政治力だけに長けた人間が、国レベルの公(おおやけ)に携わるのは、もういい加減にして欲しい。「公の品格」教育制度は、まずはそこから出直して欲しい。それなくして「美しい国」は成り立ちえない。
みかんには法的人格権は与えられていないし、「公」と云う概念も持ち合わせないが、傍若無人ということはない。明らかに「人柄の良さ」と「品格」がそなわっている。ちょっとまだヤンチャが抜けなかったり、猾さを学習したりしているが、、それはチャーミングさの一部だ。
■今日も父さんは疑似トライアスロン。昨日とコースは違う。水分補給?父さんもみかんも見るだけ。
■最近、こう云う照明が多い。みかんにとって、いいんだか、わるいんだか、、。
●昨日と同じ。
トッピングに卸し人参。おやつに胡瓜。