ハンドボールのオリンピック出場権を賭けた異常事態のアジア予選、昨日今日と男女ともに韓国に負けた。一国民感情とすれば、できれば勝利して欲しかった。が、善戦したものの結局は力量の差だったと思う。だからそのことは致し方ないし、今回はどうでも良いことだと思う。ただし、この先、選手やチームが、努力することだけに甘んじられても困るが、、。
今回大事なことは、日本のハンドボール協会が、行動開始が遅くはあったが、スポーツ運営のフェアの維持/再試合実現に立ち上がったことだと思う。それも「韓国」と一緒に。
スポーツにおいては、選手やチームが、公平なルールの中で、自分の勝利を目指し「脱法(ペナルティ直前)」ぎりぎりまでの技と知恵を磨き実践するのは当然のことだ。逆な例えで云えば、怪我したり引退直前の選手相手に遠慮した優柔な対戦をしても、それをフェアプレーとすべきではない。それは競技システムの中でチャンピョンを決めると云うフェア精神への冒涜でしかない。フェアな運営ができないスポーツは、文化的に百害あって一利なしだ。
この先、ナショナリズムや国益を超えた存在としてのスポーツの運営のあり方を進める興味ある一例として「ハンドボール」を眺めて行きたいと思う。
場合によっては、ハンドボールをトトカルチョの対象にした方が、ルールをフェアに運営するのに役立つかもしれない。
スポーツは、する動機、する立場、見る立場によって、いろいろに異なって見えてくる、、のも面白い。「させる立場」だけは出過ぎないで欲しい。
でも、一般市民のマラソン出場って何なんでしょうかネ。(父さんは今、そんなことに悩んでいられる時期ではないのですが)
みかんは掌(てのひら)と指の構造上、ボールを握れないから、ハンドボールは出来ない。
でも、口でくわえてレトリーブ(回収)してくるのはお手(?)のもの。
さらに、ちゃっかり食べちゃう方がもっと得意だが、、パン食い逃げ(?)競争。
■ボールをくわえてレトリーブするゲームなら、みかんはトップアスリートだ。
■今日のハンドボール試合放送中、みかんはず〜っと寝ていた。
■みかんと暮らすことは、双方にとってそれなりにスポーツでもある。
この場合、みかんにとってはサバイバル?
●昨日と同じご飯
おやつに生白菜&黒豆甘納豆数粒