昨日の話には説明がやや不足していたと思うので付け足します。
「正直に慎み深く奢らぬさま」については、武野紹鴎も千利休もそれ以上の説明はしていない。
父さんが知る限りでは、その後も400年以上の間、誰もそのことにはきちんと触れないようにして(曖昧な説明のまま)今日まで来ているようだ。その要因は、一つには利休の茶の湯の存在があまりにも偉大だったこと、その二は「伝統伝授」を重んじるあまり規矩作法だけが受け継がれて来たこと、その三は「侘び」の本質など実はどうでもよいと思われて来たこと、、などだろう。近代に入ってからは「侘び(わび)」も「寂び(さび)」も一絡げ(ひとからげ)にされているありさまだ。
父さんはこの20年ほど、「正直に慎み深く奢らぬさま」について調べている。
証明するにまでは至らぬのだが、父さんはそれを「三つの対話」として捉えるまでに至った。
「正直に」は「自分(今現在の己の心身)との対話」。
「慎み深く」は「自然(自然の摂理、物理的法則)との対話」。
「奢らぬ」は「友(社会だったり仲間だったり)との同等の関係での対話」。
この場合の「対話」とは、現状をきちんと認識し前向きな合理性を求める姿勢のこと。
つまりは、自らの「感性と悟性と理性」を磨き続けることが「侘びること」。
父さんは、チリのあの33人のリーダーに(たぶん他の32人にも)それを感じたのであります。
そんなこんなで今日の散歩。
■定点鑑賞地点がカフェになっていた。
父さんは財布持参してなかったので、見るだけ。わびしい(?)限りだ。
■露天でちょっと足湯。
■今日の目的地の「屋台」では新商品が発売されていた。なかなか評判らしい。
みかんはここでは全身浴?
■エントランスホールはすっかりハロウインモードになっていた。
■今日のお友達その1。たぶんこの友とは一期一会。
■その2。ここではベリーダンスも見れるらしい。
でも、この友も、そう長くはここにいないような気がする。
●一昨日と同じご飯
■トッピングに蒸したスティックブロッコリが追加された。
みかんの場合、長いままだと未消化の繊維でウンコが繋がっちゃうので、ある程度の長さに裁断。
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●印は、今日のみかんの晩ご飯のタイトルと内容です。
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