みかんの父さんは埼玉ッコだ。埼玉県の浦和と云うところで生まれ小学校6年の初めまでそこで育った。その後父親の転勤に伴い豊中(大阪府)と鎌倉(神奈川県)に暮らしたが、大学に入学してからはまた浦和(埼玉)で暮らした。それ以降、母さんと出会い暮らすまで浦和の親の家をベースにして東京(と云ってもいろいろあるが)に通った。
浦和はメガロポリス東京の戦前からのベッドタウンの一つだ。そこに住む人々の多くは県知事選には興味が無く「埼玉都民」と呼ばれていた。父さんは、大学に入ってからは帰る時間がもったいなくて面倒くさくて家に戻らないことがしばしばあった。学校が遠かった(国分寺から更に30分、通学に片道2時間ちょっとかかっていた)し、付き合いもいろいろあったし。職場は都心の一角だったが仕事が殆ど夜なべだったので帰れなかった、、職場で半分暮らしていた。
誰が言い出したか知らないが、「いさちかコンプレックス」と呼ばれるものがある。茨城・埼玉・千葉・神奈川の順で、東京に対するコンプレックス(引け目?)が強いというのだ。父さんに云わせれば、多摩(東京市部)と山の手もどき地区を加えて、「いさちかたコンプレックス」だ 。まともな社会人にとってはどうでもいいことだが、確かにそう云う現実はあるかもしれない。
都会で流行情報が発生し口コミやマス媒体にのったとしても、ベッドタウンで実際の消費活動として浸透するにはタイムラグや質の変異が生じる。しかも自らが発信できるアイデンティティは殆どない。せいぜい流行の消費の遅れが少ないことをみせるだけだ。その中で見つけた弱い者探しの一つが「いさちかたコンプレックス」だったのではないか。地勢的に地味な埼玉がそれを引き受けさせらてきたようだ。
個人としての大衆は、生きて行く上で周囲との相対的評価だけが指標になるので、孤独になることやいじめられる立ち場になることに精神的にもろい。その結果(?)一般の大衆は、自らの身を守る為、群衆の一員に成る為に、いじめ易い対象を探し求め作り出す傾向に走る。多くの場合は誰かの煽動に乗ってしまう。対象にされた者はスケープゴートだ。
それにしても「大衆」は現代文明の中で全ての人が背負っている要素だから、それを越える文化を築く前途は遼遠だ。万人が健全な自信を持てば済むことなんだけど、、それが難しいんだよね。人は弱者もしくはマイノリティを体験して大人になるしかない。国連レベルで扱うべきテーマだと父さんは思っている。
散歩中にいろいろなイヌに出会うが、みかんが関心をもつ相手と持たない相手とがいる。単に相性の問題だと思う。犬種も問わないし、いさちかコンプレックスも無縁だ。
ただし、今の暮らしの中では念頭にないようだが、犬には群れる本能・習性があるらしい。要注意だが、、考えたらみかんは毎日父さんと群れている。「群れる」と「大衆行動」はまた別な問題かもしれない。
■みかんは世間の流行り廃りに興味が無い。自信も不安も健全だ。ハロウィン近し。 ■雑穀7種。器は全て父さんの作品だよ。
●秋刀魚スケルトンたっぷりご飯
秋刀魚スケルトン、雑穀7種、隠元豆、乾燥椎茸、乾燥まいたけ、乾燥蓮根、ひじき、人参、大根、カブ&葉、山芋、薩摩芋、じゃがいも、梨の皮、五分つき米、オリーブオイル。
※今日からまた新たな雑穀7種(もちあわ、もちきび、高キビ、ひえ、押し麦、はと麦(割)、実蕎麦)。