パリ大聖堂の俗称「ノートルダム」とは「高貴なる女性」すなわち「聖母マリア」のことをさす。12世紀、ランス/アミアン/シャルトルで完成度の頂点に達するゴシック建築の「天を突くようなカテドラル(大聖堂)」はいつしか「ノートルダム」と呼ばれるようになる。エウロペ(西欧)の後進的キリスト教世界では、「カテドラル(カセドラル/大聖堂)」がそう云う思いで崇められ愛されていたのだろう。
カテドラルとは本来「司教の椅子のある場所」と云う意味だそうだ。パリやロンドンのノートルダムに至ると、それを権威と威厳を示す道具にする政治的なものを感じる。
ガウディのバルセロナのまだ完成しないそれは、当人が死んじゃったあとはもうガウディの作品ではないと父さんは思っている(ちなみに父さんは、公園や家具にガウディの才能のすべてをみる)。でもその後も時間や金銭感覚に叱咤されずに職人魂が磨き上げるお神輿的素材としては、完成しない存在そのものが嬉しい。この際、人類のために永久に完成しないで欲しい、、と父さんは思っている。宗教建築は一人の建築家が前面に出ない方が美しい。ちなみに、サクラダファミリアとは「聖なる家族」だ。
話はワープする。(このブログ上の新しい手口だ)
青山墓地から見える「東京ミッドタウン」は、現代の「ノートルダム」のようでもある。が、父さんには何故か単なる墓石やオベリスクに見えてしょうがない。
みかんこそが父さんにとっては「ノートルダム」だとその時気付いた。
■青山墓地から見上げる東京ミッドタウン、、 卒塔婆か墓石のようだ。
■リブボールト風でゴシックしてる。でも、みかんの方がノートルダムだ。
●昨日と同じ