「中華丼(ちゅうかどん)」と云うものがある。
白飯の上にトロミをつけた肉野菜炒めをのせたものだ。肉抜きでも成り立つ。
高級なお店では器を代えて「五目あんかけご飯」などとも呼ばれている。
ちなみに、中華丼とは似て非なるものだが、父さんは五目あんかけ玉子チャーハンの方が好きだ。ここ暫く、食ってない。そう思うと、食べたさが募ってくる。
中華丼は熱いうちに混ぜて食べるのが美味しく食べる秘けつだ。
美味なる個々の素材の持ち味が健全に自立していると互いに絶妙なハーモニーが生じる。
でも、個々の素材の持ち味を強制的に打ち壊す調理や調味料が加わると、素材の生命力は抹殺され、最高に(?)不味い地獄のような世界が広がる。
中華丼で肝心なのは、暴力的な調理や調味料を施さないメンタリティーと異なる文化(素材の価値)を尊重するセンスをコンダクターとしての料理人が持つことだ。
「中華」とは「世界の文化の中心/華の中心」を自負する表現である。
そして、「中華思想」は漢民族による「華夷思想」でもある。
極めて長〜い目で見れば、人類史上に於いて、「中華思想/華夷思想」は「麻疹(はしか)」見たいなものだろう。、、そうであって欲しい。
遠からず、隣国が、その国名から「中華」なるタイトルを自ら降ろす日が来ることを願って止まない。
たぶん、みかんも同じ意見だろう。
ところで、「中華丼」は、「カレー丼」同様、日本のオリジナルだ(それで、紅ショウガがトッピングされていたりするんだネ)。
日本社会はまだ天竺や唐物の看板に弱い。
考えてみたら、みかんが日々食べているご飯、、炒める手間はかけていないが、中華丼に近いかも。食べる直前にオリーブオイルで和えているし、、。
でも「中華丼」を名乗る必要は全くない。
【写真は、今日のブログ記事とは無関係です。】
■三者会談その1;みかんと父さんと椅子。文殊の知恵?
■その2;みかん君、、勝手に、途中退席。
■その3;でも、自主的に再着席。これは、、みかんの理性だ。
●一昨日と同じご飯
トッピングに千葉から届いた「小松菜の菜の花」の蒸し物
おやつに黒米入り茹で小豆。