聞香と書いて「もんこう」と読む。
日本語では「味は見るもの」であり「香りは聞くもの」、、
つまり、味と香りは、見聞きや見聞に匹敵する「知」的活動であったと言える。
肉体的にはそれ以上に大事なことかもしれない。みかんを見ていてそう思う。
抽象化したりデジタル化して伝達できないところも極めてノーブルだ。個々人がその感性を学習し磨くしか、そのセンスを高める手立てがない(天才は除く)。
父さんと母さん(とミキちゃん)は今日、「聞香会(もんこうかい)」へ参席してきた。(ひょっとしたら「会」は「かい」でなく「え」と読むのが本式かもしれない。)
場所は、なな&ちゃちゃが暮らすお宅。
「みかんもどうぞ」と言われていたが、そのマンション(だいたいどこのマンションもそうだが)、建物の入り口から個々のお宅の玄関ドアまでは、監視カメラのもと、ペットはケージに入れるか抱えて運ばなければならない。今のみかん(体重27kg強)を今の父さんが何分間も抱えたままで移動することはできかねる。だから今回、みかんの参席は諦めた。そのうち、大型犬用の乳母車を調達し、練習するつもりだ。
■「今日はふたりでお留守番しててね」
聞香そのものは、茶会のアトラクションのひとつにもあるので、父さんは過去に経験済みだったが、、
■今日は「香道のいろは」を体験しながら楽しく学ぶことができた。
奥深そうなその洗練された姿に真摯なるものを垣間みることができた。
「五感」のすべてを磨きあげて遊ぶ、、という点において、やはり先人たちの達観力と感受性はすごかったのだ、、ということを改めて知らされる。
今は伝統的な「遊芸」の一つとなっているので、形式化された作法が重んじられたりもするが、父さんとしてはその作法の個々を解き明かしてみる知的好奇心の対象との出会いという側面においてもうれしい体験となった。
■気が付けば、なぜか窓の外に、、、スパイーダーマン。
■ちゃんと留守番できたかな?
なんかちょっと、クレアさんはグッタリな様子。なんと、、腿にニクバナレ。
クレア相手にひと暴れ? やはり、みかんには理不尽な留守番だったのだろう。
■みかんのストレス解消のため、戻ってすぐに家族で散歩。
■そしてその後、指導的教育実習を授けられるみかん。
白いのはクレアのもも肉。
クレアのももには母さんが近々のうちに「オペ」を施す予定だ。
●昨日と同じご飯